古橋悌二「芸術は可能か?」(抜粋)
古橋悌二「芸術は可能か?」(抜粋)
「(…)さて、このセミナーショーの発想の発端となった一つの重要な経験が、
僕の中にはあった。’86年の秋、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあるPS.122
というパフォーマンス・スペースで『SEX&DANCE』というイヴェントがあった。
これは当時、エイズ渦にもろに見舞われたこの街のアーティスト、特にパフォーマ
ンス・アーティストたちがチャリティの名目で集まり、それぞれの出し物でこの街に
一体何が起こっているのか、文化と社会の間に何が起こっているのか、我々と性の間
に何が起こっているのか、を表現しようと試み、語り合おうとした終わりなきイヴェ
ントであった。
多くの友人を失った悲しみをダンスで表現する者、エイズ渦を無視する
政府に対する批判をアジテートする者、失った友人のおびただしい数の名前を淡々と
読み上げる追悼的パフォーマンス等が続いた。そして最後に、ある有名なゲイ・ポル
ノのスターが出てきて、彼がいつも42丁目の劇場でやっているようなストリップを始
めた。多くの観客がゲイであるこの場において、彼の挑発的なショーはエロチックな
ファンタジーで会場を満たすはずであった。その美しい容姿とたくましい肉体はゲイ
だけでなく女性客も魅了するものだった。
が、彼は全裸になる直前にいきなり自分がHIVに感染していることを公表した。
それ以降のストリップ・ダンスで観客は最も残酷な時間を体験した。
我々のエロス的興奮の高まりは縮み上がり、彼の男根がそそり立つほどにうなだれ
ていく。我々は自分の性に何が起こっているのか真っ向から向き合うこととなった。
この日の観客のセクシュアル・ファンタジーにもたぶん最も頻繁に登場してきたであ
ろう彼の挑発を前にして、我々は呆然と涙を流した。彼に対する憐憫の情からではな
い。全裸の彼にエロスを感じることすら許されなくなってしまった自分に対して泣い
たのだ。(…)」(初出『へるめす』43号 1993年5月、古橋悌二『メモランダム』リトル・モア 2000年)