ふくしらぢお dansoundemo -6ページ目

墨田区のアルミ缶・古紙持ち去り禁止条例に反対するブックフェア(古本市)&トークイベント


ふくしらぢお dansoundemo

【墨田区のアルミ缶・古紙持ち去り禁止条例に反対するブックフェア(古本市)&トークイベント】


日時:11/27(土曜日)


●ブックフェア: 人文系・運動系の古書約500冊を大放出!昼過ぎ2時くらいから山谷労働者福祉会館1Fにて。
●トークイベント: 山谷労働者福祉会館2Fにて。夕方6:00開場 6:30開始
→ ゲスト:Love Kindstrand(ラブ・シンズトラン)さん 他



以下、トークイベントの概要です。



【北欧社会でのロマニーに対する差別と排除】
昨年、スウェーデン西海岸にあるイェーテボリ市の郊外にあるキャンプ場が行政に買い取られて、そこに住んでいたロマの人々が排除されました。キャンプ場にあった水道、電気などの生存インフラへアクセス出来なくなった何十人かのロマの人たちがキャンプ場を出ざるを得なくなり、駅などで厳しい冬を乗り越えました。
この事件は、「差別がない社会」を建て前とするスウェーデンにおいては、存在自体が起こってはならないことであり、多くの人々にとって認めたくない事実でした。そんな空気の中で、この事件をもっとも精力的に取り上げたメディアが、ホームレスが売っている*FAKTUM*(日本のビッグイシューにあたる)です。ホームレス運動と、マイノリティ問題の関係、その可能性について、スウェーデンで活動されてきたラブさんが報告します。



【2001年以後のサミットと、アクティビストのトラウマサポート】
99年以後のサミットにおいて、精神的な痛手(トラウマ)を負った人々を支援するトラウマサポートという活動が行われています。サミットなどの大規模な抗議行動では活動家に対し、物理的な暴力に限らず様々な警察からの嫌がらせが頻繁におこります。このアクティビストトラウマサポートの活動は、救援連絡センターや **アナキスト**・**ブラック**・**クロス** (政治囚支援の組織) の仕事が終わった後でも、アクティビストが精神的なストレスで活動を辞めたり、運動から離れたりすることを防ぐ必要性から生まれた取り組みです。この活動に関わってこられて人々が、ちょうど来日していますので、お話をしていただくことになりました。



主催:山谷労働者福祉会館活動委/山谷争議団・反失業闘争実行委
連絡先:山谷労働者福祉会館 
台東区日本堤1-25-11
電話  03-3876-7073
メール san-ya@sanpal.co.jp
ブログ http://san-ya.at.webry.info/

呼びかけ:イルムから―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて

(以下、呼びかけ文。転送歓迎です!)

***************************************************
呼びかけ:イルムから―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて

■はじめに
わたしは1960年に神戸で生まれた在日コリアン二世です。両親は済州島出身の一世です。私はいま、「中崎町ドキュメンタリースペース」というドキュメンタリーの制作グループを創り、大阪の釜ヶ崎を拠点に活動をしています。釜ヶ崎は、1960年代、炭鉱離職者や沖縄出身の人々などの日雇い労働者の街「寄せ場」として、1970年代からは高度経済成長を背景として多くの沖縄や未解放部落、在日韓国・朝鮮人などの人々が土木・建築、港湾などの底辺の労働に、従事してきました。現在では、産業構造や雇用形態の激変、労働者の高齢化により、「寄せ場」そのものの姿も変貌しつつあります。そのような中で、私は4年前の、2006年末、越冬闘争の撮影に参加する機会がありました。そして、2007年3月には、その釜ヶ崎において2088人の労働者の住民票が消除され、選挙権までもが奪われるという事件が起こりました。その様子をカメラに収め、ドキュメンタリーを制作する過中で、様々な人々と出会いました。


■阪急梅田百貨店で起こった事
私が日雇いとして働いていた、大阪梅田の阪急百貨店の解体現場での事でした。そこでは、多くのフィリピンからの「研修生」という名目の移住労働者が、最低賃金の3分の1以下、月6~8万円の「手当て」で働いていました。私は特別永住権を持つ日本で生まれた在日朝鮮人二世であり「本名」で働いていました。ところが、雇い主によって、ヘルメットの前面に貼られた「本名」のシールを剥がされ、そして、裏側に貼ってあった「本名」のシールの上には「通名」のシールを貼られました。「本名」のままだと、「不法就労」防止のための「外国人就労届」を出さなければならないと雇い主が考えたのがその理由のようです。しかし、在日朝鮮人の場合、本名を使おうが、通名を使おうが、法的に「外国人就労届」を出す義務などなく、不法就労という事自体がありえません。他の現場では、「本名」で働いていても何も言われず、問題がなかったのに、何故突然、そこの現場でだけ、そんなことを言われたのかさっぱりわかりませんでした。(さらに、そこの現場では、入退場の時に、全員に指紋の押捺を義務付けるということもしていました。何故そんなことが必要なのでしょう?)多くの在日朝鮮人にとって、それは日常的に遭遇する不条理のひとつです。私は、いま現在も継続する「創氏改名」を問う裁判を起こしました。2010年5月24日、私は、日本政府と大林組とその下請けの三者を提訴しました。
 
■本名を名乗ることは人格権
自分が何者であるかを明らかにすることは「人格権」であり、自分の本当の名前が何かということは、自分がそれを決定する権利なのです。しかし、幼い在日たちは、それに気づくことができないほど主体を奪われています。「ある日、不意にわたしたちが自分は何者であるのか、を知らされるのは、わたしたちがはじめて他者に出会う小さな子どもの頃である。」「わたしたちは、この世に在るものとして生きていくために、仮りの名を自分のものにして、自分でない仮りの者に自分を似せていくのだ。この世が日本人のものであるならば、わたしたちは、より日本人らしい、日本人に自分を真似ていく。」(「李珍宇ともうひとりのRたち」より 朴壽南)

■私が本名を名乗るまで
多くの在日コリアン二世がそうであるように、私もかつて、日本の学校に「通名」で通っていました。授業参観などでオモニ(母)が学校にやってくるのが厭でした。なぜなら、一世で無学で字も書けないオモニが来るとクラスのみんなに朝鮮人であることがばれるからです。14歳の時、外国人登録のため、クラスの皆に知られずに授業を休み、区役所に行き指紋を押す、その時、私はそれまでにも感じていただろう「チョウセン」という不遇性にもろに遭遇するのです。しかし、私はクラスで「本名宣言」をする勇気もなく、「指紋押捺拒否」も出来ませんでした。大学に入学し同胞学生のサークルに、勧誘されてようやく、「本名」を名乗ったのです。

■創氏改名の歴史とは
1940年、「創氏改名」が行われました。「半島人ヲシテ忠良ナル皇国臣民タラシメル」(朝鮮総督南次郎)ため、朝鮮に固有な男系の血統による「姓」を天皇制下の日本式の家の呼称である「氏」に変えました。それは同時に朝鮮の家族制度を日本化する「皇国臣民化政策」のひとつであり、その一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に変えさせたのです。
しかし、「創氏改名」は朝鮮が初めてのことではありません。1874年(明治6年)明治政府はアイヌ民族に「氏」を強制しました。民族的な風俗を禁じ、固有の宗教、土地を奪い、狩猟活動も禁止し、「皇国臣民化」教育という同化教育を行いながらアイヌ民族を「旧土人」として差別しました。また、琉球人(ウチナンチュ)の名前は、薩摩藩と明治維新での廃藩置県という二度の琉球征伐の中で、沖縄の命名習俗を一掃し、琉球人を日本の戸籍へと強制的に編入していきました。金城という姓は「かなぐすく」から「きんじょう」へ、そして「かなしろ」あるいは「かねしろ」へと変わっていきます。かつての大日本帝国が、様々な非「日本人」と帝国臣民である「日本人」を生み出し、そして、それらの人々を同化し、あるいは差別、排除、抹殺、序列化し、アジアを侵略していったことを忘れてはなりません。

■人類館事件について 
それを象徴的にあらわす事件として、1903年、「人類館事件」が起こりました。日清戦争の戦勝気分に沸くさなか開催された、第5回内国博覧会の「学術人類館」において、世界の「人類地図」男女一対の50組の図版とともに朝鮮人、アイヌ民族、台湾の先住民、沖縄人などの人々が民族衣装姿で「展示」されました。『「見る」側は好奇な差別的眼差しと優越感で「見られる」側に恐怖感と劣等感を植えつけてゆく。そして、「見られる」側はそれから逃げようとして、差別者への同化、迎合せざるを得なくなってくる。』(「内なる人類館」解体のために 金城薫)「天皇制」「戸籍制度」を背景にして、被植民地の人々を「創氏改名」などにより、名前を利用することによって、巧妙に日本に同化させていきます。各人、あるいは各集団固有の文化を劣ったものとして、捨てるべく誘導していったのです。

■戦後も残る「創氏改名」
「創氏改名」は過去の話ではありません。戦後も「創氏改名」は根強く残りました。日本政府は外国人登録の氏名欄に本名以外に「通名」を併記することを認め、公的書類にも「通名」使用を承認し、誘導しました。現在も在日朝鮮人の多くは根強い民族差別のために「通名」を使用せざるをえない状況にあります。大阪府外教調査(1994年)では、日本の公立高校に通う在日子弟の本名使用率はわずか12%です。ある在日三世の高校生K君が飲食チェーン店に本名で面接に行ったら、唐突にパスポートを見せてくれと言われたといいます。K君はオモニに、こう言いました。「オモニたちが何年(本名の)運動やっても日本は変われへんやん。僕は韓国に行くわ。韓国に行って、韓国でも僕は差別されるけど、生まれた子どもは差別されへんやろ。」その言葉は私の胸を刺します。また、ベトナム難民二世の子供たちも「本名」と「通名」で悩んでいると聞いて驚きました。北朝鮮に対する悪質な報道や朝鮮学校の無償化問題にも象徴されるように、日本の社会に体系的な排除、包摂の論理が、肉体化されているのです。

■Kとの出会い、そして提訴へ
今回、訴訟にはもう一人日本人のKいう原告がいます。Kはお父さんが中学校の校長先生であり、K自身も進学校の高校に通っていたのですが、閉鎖的でマンネリな学校や家庭に反発し中退して、あちこちを放浪し釜ヶ崎にやってきたのです。Kは37歳で型枠大工として釜ヶ崎で働き、ドヤに住んでいました。2007年3 月、釜ヶ崎解放会館に登録していた2088人の住民票が一斉に削除されて、選挙権が奪われたとき、Kはその釜ヶ崎解放会館に「住民票」を置いていました。Kは当該として本人訴訟で一定の勝利判決を得ました。Kは、私の「創氏改名」されたヘルメットを見て、滑稽だと笑いながらも、一晩で共同原告としての訴状を書きあげました。そして、参議院選挙(7/11)を控え、「本名裁判」の第一回口頭弁論直前(7/8)に、なんと別件で逮捕(6/29)されたのです。Kは今も、大阪拘置所に不当にも長期拘留されていますが、私に裁判資料を送り続けているのです。

■イルムから―
現在、日本に在住する外国人は221万人を超え、日本の人口の1.74%を占め、また、そのルーツの多様化も進んでいます。グローバル化や少子高齢化の流れの中で、多くの「研修生」「実習生」など、さまざまな在留資格に細分化された外国人が、この日本に暮らしています。また、祖国から政治的に迫害され避難して来た「難民」も多くいるのです。一方でかつてのオールドカマーを代表する「在日韓国・朝鮮人」の人口は日本国籍の取得や、日本人との婚姻した子供たちが日本籍を選択するなどにより減少を続け、現在58万9千人となっています。国籍別で増加しているのは中国人が65万5千人、ブラジル人が 32万2千人、フィリピン人が21万人となっており、無国籍の人たちも1,525人います。(2009年7月入国管理局発表)そして、日本で生まれてくる子供たちの30人にひとりのどちらかの親が外国籍なのです。
先日、群馬県の小学校六年生の上村明子さんがクラスでのいじめが原因で自殺するという傷ましい事件がありました。詳細はわかりませんが、いじめられた原因が、お母さんがフィリピン人であることと伝えられました。上村明子さんが自らの出自を隠さず、民族名やあるいは、日本名と民族名を併記したダブルネームを名乗り、当たり前のように、受け入れられ、名前を呼ばれる環境が学校や地域や家庭にあったならばと思います。在日朝鮮人だけではなく、他の外国人が自らの出自を隠し、そのアイデンティティが自他ともに見えなくなる状況が発生しています。民族的アイデンティティの危機を克服することなしに国際化や多文化共生がなされることはありえないでしょう。多くの在日朝鮮人や在日外国人の子供たちが自然に本名を名乗ることができるように、この裁判がひとつの問題提起になればと思います。「イルムから―」いっしょに考えていきたいと思います。
(NDS=中崎町ドキュメンタリースペース)金稔万(きむ・いんまん)
「イルムから―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて」は、この裁判への、多くの人々のご支援をお願いしたいと思います「イルムから―」に対する個人・団体での賛同をお願いします。そして、ぜひ、メッセージをお寄せください!

■賛同フォーマット
■<名前(あれば肩書きなども)>
■<ブログへの名前の公表>可能・不可能
■<メッセージ(応援・意見・あなたの体験など、なんでも結構です!)>

■賛同メールの送り先:nds-2010osakaあっとhotmail.co.jp(あっとを@に置き換えて送信してください)

連絡先:釜ヶ崎医療連絡会議 大阪市西成区太子2-1-2 電話:06-6647-8278

ブログ「イルムから―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて」 http://d.hatena.ne.jp/irum/

カンパ振込先郵便振替口座 00940-5-79726(加入者名:釜ヶ崎医療連絡会議)
*通信欄に「イルム」と明記してください。今後の弁護士費用など、何かと経費が必要になりますので皆さんのご支援のほどどうぞよろしくお願いします。

**********************************************

在日コリアンいじめ不就学事件

■れんか〔蓮花〕学習会 [韓国併合]100年の今年、在日コリアンの子どもの教育を受ける権利は?

 主人公は在日コリアン4世の少年。京都市内の小学校で民族名を名のっていた
ことから児童・教員からいじめを受け、小3で不登校となり、進級した京都市立近衛
中学校で2001年10月に退学になり、不就学状態になったという前代未聞の事件
を争う損害賠償請求裁判が現在、最高裁判所まで行っています。
 この裁判を支援するれんか〔蓮花〕では裁判の経過を振り返り、日本国籍を持
たない在日外国人の子どもの教育を受ける権利について学習会を開きます。奮ってご
参加ください。

日 時:11月26日(金)19:00~21:00

場 所:ひとまち交流館・京都(河原町通五条下る東側)075-354-8711 
     http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html

参加費:500円(資料代)

お 話:大橋さゆりさん(本裁判弁護団。11月13日に「国際人権法学会」で
本件裁判について発表)ほか、裁判経過報告(藤井幸之助さん)・裁判内容報告(井上正一さん)など
     報告の後、ディスカッションをします。

主 催:れんか〔蓮花〕(ユンミニョン〔尹敏栄〕さん親子の裁判を支える会)
      06-6793-1312 masipon@nifty.com  090-9882-1663(藤井)
協 力:(社)大阪国際理解教育研究センター/ 同胞保護者連絡会 / 民族教育を
すすめる連絡会 / コリアン・マイノリティ研究会

参考資料
●『判例タイムズ』1295号(7月1日号)行政裁判例(大阪地裁2008.9.26判決)
 1 外国籍生徒に中学校への就学義務がないと判断された事例。
 2 中学校校長が,中学校に在籍する外国籍生徒の親権者から提出された退学届
を受理する際に,退学と転学の違い等について,当該生徒自身に何も説明しなかっ
たことが違法とされた事例。
●http://www.ksyc.jp/sb/20060901geppou.pdf
●http://osaka-futaba.cocolog-nifty.com/futaba/2008/09/post-4f38.html


『福祉・保育現場の貧困 人間の安全保障を求めて』(浅井春夫・金澤誠一編著/明石書店/2009年)

紹介

利用者の福祉ニーズの深刻化・重層化の一方で、今、現場ではセーフティ・ネットの崩壊ともいえる事態が進行し、福祉労働者にワーキングプアが広がっている。このままでは利用者も労働者も守れない。日本のセーフティ・ネットのゆくえを問う。

目次

 はじめに(浅井春夫)

第1章 福祉・保育現場の貧困と最低生活保障
 ○最低生活とは何かという問いかけ
   福祉・保育現場の貧困とナショナル・ミニマムの今日的意義(金澤誠一)

第2章 人間の安全保障のゆくえ——現場からの報告
 ○保育現場の貧困
   人・施設・家庭の貧困に追い打ちをかける制度改悪(実方伸子)
 ○東京都の無認可保育所の厳しい現状
   企業参入による子どもへのしわ寄せと、問われる福祉としての保育(平井陽子)
 ○学童保育の現場から
   子どもに「安全で安心できる生活の場」を保障する(真田祐)
 ○児童養護施設に何が起きているのか
   被虐待児童の増加と求められる職員増(黒田邦夫)
 ○児童相談所が抱える困難
   ケースワークをむずかしくする社会資源の不足(川松亮)
 ○福祉事務所・生活保護現場の貧困
   やりがいを取りもどしワーキングプア化を避けるために(渡辺潤)
 ○障害者施設の現場はどう変わったか
   権利を侵害する法制度に立ち向かう実践(家平悟)
 ○高齢者福祉の貧困
   制度の混乱と離職者の増加を生んだ8年間(西岡修)
 ○熱意が生かされない介護労働の現状
   非正社員・低賃金が担う現場の構造(野寺康幸)
 ○介護労働者の無権利な実態と闘い
   在宅介護を担う人たちの現実(清沢聖子)

第3章 福祉労働の今を問う——働き続けられない雇用
 ○官製ワーキングプアをなくす取り組み
   調査から問い直す自治体職員の専門性(前田仁美)
 ○臨時・非常勤公務員の知られざる賃金・労働実態
   「5年で雇い止め」の冷酷、相談業務のプロが次々と職場を去っていく(岡田広行)
 ○営利事業者のもとでの福祉労働
   保育と介護のありえない現実を前にして(小山道雄)
 ○社会福祉施設経営者の苦悩と現実
   福祉労働者の確保と育成のむずかしさ(中村公三)
 ○民間保育者の賃金の歴史
   「低い」とされている労働条件を明確にするために(義基祐正)
 ○福祉の現場をめぐる統計
   福祉労働者のおかれている厳しい状況(若林俊郎)

第4章 社会福祉労働のこれからと政策提言
 ○社会福祉労働の貧困化と変革の課題
   この現実の根本原因と政策転換の必要性(浅井春夫)

 あとがき(金澤誠一)

前書きなど


はじめに——毎年、若葉の時期を笑顔で迎えられるように

 現実を知ることなしに勇気と変革の行動は生まれない。“貧困は見ようとしなければ見えない”ように“その現実は変えようと思わなければ変わらない”のである。この現実を変えようとするものには、人間としての怒りを持ち続けること、そしてこの現実を変えようとする勇気が問われており、さらにもうひとつ人間への優しさが求められていると思う。
 今、福祉・保育現場を見ると、本来人間を大切にする場で利用者のみならず実践者までもが息苦しく、しごとを続けていくことさえ困難な現実が広がっている。そうした現実をなんとかしたいと切望している実践者と研究者が共同してつくり上げたのが本書である。
 本書の特徴を紹介しておくと、まず、ほとんどの福祉分野を網羅して、リアルタイムで福祉・保育現場の現実を明らかにしている点である。現場の第一線で実際に関わっている実践者・当事者が今感じていることも含めて書いており、そこに何ものにもかえがたいリアリティを読み取ることができよう。第2に、その現実が政策によって生み出されていること、まさに“政治の責任”としてあることを指摘していることである。したがって第3として、その現実を変えることは“運動のちから”によってできうるという展望が執筆者の共通の基盤となっていることがあげられる。
 福祉・保育現場で働く人たちの多くの現実は、まさにワーキングプアの状態にある。私たちは、労働条件を優先する機械的な労働者論を主張しているのではない。働く人たちの労働条件を保障するとともに専門職としての使命を果たすことの両方を大切にする福祉政策のあり方を問うているのである。働く人たちを大切にしない福祉では、利用者をも大切にできないことは、本書の内容をとおしてわかっていただけるものと思う。
 第1章「福祉・保育現場の貧困と最低生活保障」は実態調査と理論研究から福祉現場の貧困を詳述し、ナショナル・ミニマムの今日的意義を解明していることで、本書全体の屋台骨となっている。第2章「人間の安全保障のゆくえ——現場からの報告」は、福祉現場の10の領域からの論稿で変わりつつある福祉現場の実際がリアルに見える章となっている。第3章「福祉労働の今を問う——働き続けられない雇用」は、さまざまな雇用形態からのアプローチと実証的な研究の論稿6本が収められている。第4章「社会福祉労働のこれからと政策提言」は、福祉現場の貧困をどのようにとらえるのかをあらためて整理し、改善の課題を提起した内容となっている。この1冊で福祉現場の貧困の今と本質にあらゆる角度から迫っており、リアルに見えるようになっている。ぜひ福祉に関心ある人たちに読んでいただきたいと心から願っている。
 この春、福祉現場でしごとをはじめた人たちや今を担っている人たちがまた来年、若葉の時期を笑顔で迎え、生き生きとしごとを続けられることを願って、本書を贈りたい。

  2009年風薫る5月の日に 共編者 浅井春夫

著者プロフィール

浅井 春夫(アサイ ハルオ)

浅井春夫(立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科教授)
1951年生まれ。専門分野は、児童福祉論、社会福祉政策論、セクソロジー。“人間と性”教育研究協議会代表幹事、全国保育団体連絡会副会長。主な著書に『子ども虐待の福祉学』(小学館、2002年)、『子どもを大切にする国・しない国』(2006年)、『保育の底力』(2007年、ともに新日本出版社)、『ヨカッタさがしの子育て論』(草土文化、2007年)、『子どもと性(リーディングス日本の教育と社会7)』(編著、日本図書センター、2007年)、『子どもの貧困』(共編、明石書店、2008年)等。

上記内容は本書刊行時のものです。

金澤 誠一(カナザワ セイイチ)

1948年生まれ。帝京平成短期大学を経て、1999年より佛教大学。専門分野は、社会政策、社会保障・公的扶助論、現代の貧困研究。編著に『「現代の貧困」とナショナル・ミニマム』(高菅出版、2009年)、『公的扶助論』(高菅出版、2004年)、主な共著に『改訂新版生活分析から福祉へ』(光生館、1998年)、『社会保障と生活最低限』(中央大学出版部、1997年)など。監修責任『「構造改革」の下での「生活崩壊」と最低生計費試算』(京都総評、2006年)、『母子家庭の最低生計費試算報告書』(京都総評、2008年)、『首都圏最低生計費試算調査報告書』(首都圏労働組合と労働総研、2008年)。

上記内容は本書刊行時のものです。


http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7503-2992-5.html

炭鉱労働安全、三池争議 「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」

大阪は炭鉱と無縁ではありません。三池炭鉱だけではなく、
九州の炭鉱が次々に閉山となった後、多くの離職者が大阪に
移住しました。今でもその方たちと家族が住む団地が大阪府内に
いくつかあります。
 
 「総資本対総労働の闘い」と呼ばれた三池争議終結から50年の節目に、
争議だけではなく、炭鉱労働組合が取り組んできた安全闘争や
石炭政策闘争の資料も展示します。

 1963年に起きた三池三川炭鉱の事故は、死者458名を出した
戦後最大の産業災害です。その後遺症にいまだに苦しむ患者もおられます。
この事故の関係資料も展示します。

詳細は特設ページで。http://shaunkyo.jp/tenji_miike.html

テーマ: 炭鉱労働安全、三池争議
展示品: 三池炭鉱労組および日本炭鉱労働組合発行図書、機関紙・誌、ビラ、チ
ラシ、指令書等、文献資料。ポスター、写真、色紙、棍棒など
会 期:2010年11月10日(水)-12月18日(土)10:00-17:00(金のみ19:00まで)。
土日祝日休み(最終日を除く)
場 所:エル・おおさか4階エル・ライブラリーにて
アクセス: http://shaunkyo.jp/access.html
入場料:無料


◆ドキュメンタリー映画「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」(2005年度作品
)上映

http://cine.co.jp/miike/


熊沢誠氏講演「三池争議の歴史的意義と炭鉱映画の名作たち」
入場無料・定員100人

日時 12月11日(土)
13:00 開場
13:30 映画上映(※プロジェクターによるDVD上映)
15:45 熊沢誠氏講演「三池争議の歴史的意義と炭鉱映画の名作たち」
16:40 オプション企画:エル・ライブラリー貴重書庫見学会、40分程度。(定員15
名、要予約)
場所:エル・おおさか6階606号室にて

チラシなど、詳細はこちら。http://shaunkyo.jp/calendar.html
ご予約・お問い合わせ:lib@shaunkyo.jp


【11/19(金)京都地裁】いよいよ大詰め 被告側証人尋問

ストライキを始めて京大を雇い止め解雇されてから、1年8ヵ月が過ぎた京都大学時間雇用職員組合(ユニオン・エクスタシー)の裁判。


いよいよ3度目の、厳しい冬に突入しようとしています。


復職の交渉、そして裁判もいよいよ大詰めです。

ご支援をよろしくお願いいたします。

※次回の裁判期日は、11月19日(金)被告側 証人尋問 @京都地裁208法廷

京都市中京区菊屋町(地下鉄丸太町駅1・3・5番出口から徒歩5分)

地図 http://www.courts.go.jp/kyoto/about_tiho/syozai/kyotomain.html


 ・午前10:30~12:00 岸本佳典・総務部長
 ・午後 1:30~3:00 T 前・整理掛長(文)
 ・午後 3:00~4:30 K 元・事務部長(農)

いよいよ、あの岸本氏が姿を現します。圧倒的な傍聴支援を!!



呪詛に満ちた名曲 ♪「わしら、スターダストや」

http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090224/1235445467


動画:「岸本さん、団交拒否ですか?」 http://www.youtube.com/watch?v=vhr6xLoIQ_0


京都大学時間雇用職員組合(ユニオン・エクスタシー) http://extasy07.exblog.jp/


11/14東京:空き缶古紙持ち去り禁止条例反対デモ・シンポジウム

遊歩の往還

「喪失感というものの持つ甘美さに心惹かれる…」

Nobuyuki Nakajima 『MELANCOLIA』

名曲です。


ふくしらぢお dansoundemo


ほかに、6曲目「バンドネオン組曲~ジ・エッジ・オブ・タイム:トッカータ」


息も凍てつく早朝。アパートから突如飛び出してきた赤い髪の女。

険しい横顔。

朝露に濡れた石畳、駆け出すハイヒール。

緊迫した空気、何かが始まる。

連帯を求めて孤立を恐れず力及ばずして倒れる事を辞さないが力尽くさずして挫けることを拒否する展


ふくしらぢお dansoundemo


「自由って言葉も使い古され、死んでいるんです。『フリー』というのは自分達で勝ち取らねばならない。そこを忘れているから、そこが内省的になって行っているから、 芸術だとか文化だとかが持ってた悪魔的な魅力と魔力が無くなってきたのではないか」


Factory Kyoto

まあるい味


ふくしらぢお dansoundemo

禅寺でcafe millet のケータリングによるランチを食べた。

どのおかずも、野菜のうまみが最大限に引き出されていて、内臓に染む、まあるい味がした。


一つひとつに、愛情がこもっているので、あんまりにもやさしいおいしさでしあわせを感じて、

20数名の女子は、味わうことに真剣になり、もくもくと味わった。


手作りのお箸に、波打つ洒落たデザインのリサイクル厚紙皿。


店主の隅岡樹里さんの話し方も、ふうわり、柔らか。

http://www.sunchlorella.co.jp/health/interview/interview_01.html